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平成19年度 第56回 末川杯争奪法律討論会 論旨 
中央大学 小坂 鮎美


 本問を検討するにあたり、まず結論を述べます。

 まず、Yが予算からN神社関係費を支出することは、憲法20条1項前段及び2項の趣旨に反し、違法となります。
 次に、YがXを幹事職から解任したことは、違法とはいえません。
 なお、そもそも、今回の問題点の、全てに司法審査ができます。

 以下、かかる結論に至る過程を述べます。


 まず、予算からN神社関係費を支出することについての、憲法上の問題点を検討します。

 N神社が宗教団体であることから、N神社関係費は、宗教性を帯びたものとなります。
 そのため、これは、N神社を信仰しない構成員の、憲法20条2項が保障する、宗教上の行為を強制されない自由を制約するものとして、違憲または違法とならないでしょうか。


 まず、前提として、地域自治会という私人であるYに対して、信教の自由という憲法上の規定を適用できるかの問題があります。

 本来、憲法は対国家規範であるため、私人に対して直接には適用できないと考えます。
 しかし、私人間でも人権保障を図る必要があります。

 この点、地域自治会を、その公共性、地域性から、地方自治の一つの層と捉え、ステイトアクションの法理を用いる考えもあります。
 しかし、その理論的根拠は明確ではなく、これは採用できません。

 そこで、法律の条文解釈に、憲法の趣旨を取り込んで判断することで、憲法を間接的に適用すべきと考えます。

 本問では、Yは、訴訟当事者適格を有していることから、地方自治法260条の2第1項の認可を受けた地縁団体であると考えられます。
 ですから、N神社への支出が違法といえるかについては、同条同項の文言にある、目的の範囲、に含まれるか否かを、その解釈に憲法の趣旨を取り込みながら検討します。

 まず、認可地縁団体は、法人格を持った社会的実体ですから、八幡製鉄事件判例にならい、権利の性質上可能な限り人権を享有できると考えます。
 そして、団体が自由にその財産を支出する権利は、憲法21条1項の結社の自由によって保障されると考えます。
 この自由は、団体の活動の基礎にかかわるものとして、非常に重要なものです。

 一方、N神社関係費の支出により制約を受けるのは、構成員の信教の自由です。
 この自由もまた、個人の人格の本質にかかわるものとして、非常に重要なものです。

 そこで、N神社関係費の支出が、Yの目的の範囲内か否かは、両者の人権の利益衡量によって決します。
 具体的には、団体の性質を前提に、N神社関係費を予算から支出する必要性が高いか、支出による不利益が重大か、について総合的に判断します。

 では、認可地縁団体の性質について検討します。

 まず、認可地縁団体は、市からの連絡の伝達といった公共的役割を、当然に担っており、このことは認可の要件からも明らかです。
 そのため、脱退すれば、その公共的な利益を受けられなくなります。
 また、認可地縁団体は、その地域住民の大部分が参加し、地域社会に密着した団体です。
 そのため、脱退すれば、地域社会から疎外されるという、心理的負担を負うことになります。
 以上のような脱退の不利益を考えると、簡単に脱退することが出来ない団体といえます。

 また、加入しないことによっても、脱退と同様の、大きな不利益を負うこととなります。
 そのため、認可地縁団体は、脱退および加入の自由が制限された、強制加入団体に準じた団体だといえます。
 そして、住民のほぼすべてが加入する以上、その各構成員は、様々な思想信条、および主義主張を有することが予定されています。
 ですから、認可地縁団体の活動は、各構成員の思想良心の自由や、信教の自由などを制約しないように配慮されるべきであり、その目的の範囲は狭く解されます。

 では、N神社関係費を、予算から支出する必要性は高いでしょうか。
 この点、支出の目的は、行事を維持することで、住民の親睦を図ることにあると考えられます。
 地縁団体の根幹は住民の縁故関係にある以上、これは必要性が高いとも思えます。
 しかし、神社神道方式の行事でなくても、住民の親睦を図ることはできます。
 また、Yは、N神社への寄付を、任意に集めることもできました。
 このような代替案を採りえたのですから、予算からN神社関係費を支出する必要性は低いといえます。

 では、支出による不利益は重大でしょうか。
 この点、N神社への支出は宗教性を帯びています。
 そのため、N神社を信仰しない構成員にとって、Yが予算からかかる支出をすることは、信仰しない宗教への寄付を強制されることに等しいものです。
 これは、宗教上の行為の強制にあたり、その金額に関わらず、自己の信仰の否定に繋がりますから、その不利益は軽微とはいえません。
 また、Yは準強制加入団体であるため、その構成員は、権利の制約を受けたとしても、直ちに脱退して制約から逃れることは困難です。
 したがって、N神社関係費の支出による不利益は重大だといえます。

 これらの事情を判断すると、N神社関係費の支出は、構成員の信教の自由を過度に制約するものです。
 したがって、これは、憲法20条1項前段及び2項の趣旨に反し、目的の範囲外だといえます。

 よって、Yが予算からN神社関係費を支出することは、違法となります。

 なお、これにより、予算の決議は、違法な行為の意思表示として無効となり、Xに納入義務はないこととなります。

 次に、Xの幹事職解任についての、憲法上の問題点を検討します。
 幹事職解任がXの権利を不当に侵害するものとして、違法とならないでしょうか。
 民法709条にある、他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した、という文言の解釈に、憲法の趣旨を取り込んで検討します。

 具体的には、幹事職解任に、不法行為が成立するだけの違法性があるかを判断していきます。

 まず、違法性の判断の要素として、侵害行為の態様を検討します。
 この点、Yの、内部人事を自由に決定する権利は、結社の自由により保障されます。
 ですから、Yには幹事を解任する権利があります。
 しかし、Xの納入義務がない以上、その懈怠はありえません。
 ですから、幹事職解任は、理由なく行われたものとなるため、社会通念に反したものといえます。

 次の要素として、被侵害利益を検討します。

 この点、幹事職解任により制約されたのは、Xの、地域自治会の幹事職でいる権利です。
 この権利は、憲法の明文にはありませんが、新しい人権として保障されないでしょうか。
 この点、憲法13条後段により、新しい人権を創出することは可能です。
 もっとも、人権保障の意味を希薄化しないために、新しい人権は、個人の人格的生存に不可欠なものに限り認められると考えます。
 一般に、幹事職でなくなっても、その人の社会的評価は損なわれませんし、人格的価値もおとしめられません。
 そのため、幹事職でいることが、個人の人格的生存に不可欠なものとはいえません。
 したがって、幹事職でいる権利は憲法13条後段によっても導き出せず、憲法上保護された権利とはいえません。
 また、憲法以外の法律によっても保護されていないので、法律上保護されているとも言えません。

 以上より、侵害行為の態様は、社会通念に反してはいますが、被侵害利益の要保護性が低いといえるため、幹事職解任には、不法行為が成立するだけの違法性があるとは言えません。

 よって、幹事職解任は違法とはいえません。

 なお、709条の要件を満たさず、Xの損害賠償請求は認められません。

 最後に、今回の問題点の、全てに司法審査ができるとした理由を述べます。

 この点、団体内部の問題に司法審査が及ぶかどうかについては、団体の目的、性質、機能はもとより、その自律性を支える憲法上の根拠、争われている権利の性質などを考慮に入れて、個別具体的に検討すべきであると考えます。

 まず、本問で争われているXの権利は、信教の自由と、幹事職でいる権利です。

 このうち、信教の自由は、団体の構成員であるかどうかに関わらず認められるものです。
 そのため、侵害の有無の判断は、団体のみには任せられず、司法審査ができると考えます。


 では、幹事職でいる権利はどうでしょうか。
 幹事職は団体内部の地位であり、その判断は、団体の自治に任せられるべきとも思えます。

 しかし、Yは準強制加入団体であり、脱退の自由が制限されているため、人権侵害の問題が起こりやすいと考えられます。
 そうである以上、Yの自立性を支えている結社の自由は、重要な権利ではありますが、著しく制限され、司法権の介入は認められやすくなります。

 また、Yの目的及び機能は、地域振興や住民の親睦を図ることです。
 これには、政党や大学の場合と違って、高度な専門性や独立性はありません。
 さらに、団体内の地位の問題であっても、個人の人格的生存に関わる場合がありえます。
 そのため、幹事職の解任といえども、司法審査はできると考えます。

 よって、今回の問題点の、全てに司法審査ができます。

 以上より冒頭の結論に至ります。
以上
 

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