資金繰りが悪化していた宝石商を営む甲は、知人の女性実業家であるAに対して「すばらしい宝石を入手したので、Aさんに是非とも格安でこれを売却したい」という話を申し出た。Aは、宝石マニアであり、喜んで甲の申し出を受け入れ、ある日の夜間に甲の店で二人だけで会い、現金で当該宝石を購入することを約束した。しかし、甲の本当の狙いは、Aから当該宝石の代金1000万円を奪うことにあった。そこで、甲は目的を達成するために、親友である薬剤師の乙に対して「Aを眠らせた上で現金を奪いたいので、決して死に至らない量の即効性のある睡眠導入剤を手配してくれないか」と頼んだ。乙は、甲のために致死量に至らない超短時間作用型の睡眠導入剤を入手し、甲とAが会うことになっていた日の前日に「この薬物を全部飲ませろ。全部飲ませても絶対に死ぬようなことはない」と言って、これを甲に手渡した。なお、甲は、現金を奪取したあとに事故による溺死を装う目的でAを殺害する予定であったが、殺人の計画まで告げると乙が協力してくれないと思い、そのことを乙には話さなかった。
甲は、犯行当日、甲の店で当該睡眠導入剤を入れたジュースをAに提供し、これを飲ませた。その結果、Aは数分後に意識を失った。そして甲は、直ちにAが持参した現金1000万円を奪った。そのあと甲は、Aが意識を回復すると面倒なことになるため、当初の計画どおり、Aを自己の自動車に乗せ、海に投げ落として溺死させようとして近くの港まで赴いた。港で甲が車からAを降ろそうとしていたところ、たまたま甲の知人丙がそばによってきて「お前、一体そこで何をしているのだ」と甲に話しかけてきた。驚いた甲は、丙に事情をすべて話して「奪った1000万円のうち100万円をやるから、意識を失っているAを海に投げ落とすことを手伝え」と申し出た。丙は、甲の申し出を受け入れ、甲に協力して(Aがジュースを飲んだ約40分後に)Aを海に投げ落とし、そのあと100万円を受け取った。
なお、事後の鑑定で次のことが判明した。すなわち、当該睡眠導入剤はそれだけでは致死量に達するものではなかったが、解剖の結果、Aは(解剖しなければ判明しなかった)心筋炎に罹っていたため、〈服用させられた睡眠導入剤と罹患していた心筋炎という特殊事情とが相まってジュースを飲んだ10分後から30分後までの間にすでに死亡していた〉可能性が判明したのである。したがって、甲と丙が、Aを海に投げ落とした時点にはAは客観的には死亡していたものと思われるが、その時点ではだれもAがすでに死亡していたとは判断できない状況であった。
甲、乙、丙の刑法上の罪責について論じなさい。
出題 明治大学法学部教授 増田豊先生
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